個人主義が行き過ぎている国
「世界には4つの国がある。先進国と途上国と日本とアルゼンチンである。」は経済学者のクズネッツの言葉とされるが、それぐらい常識外れの不思議な国の一つである。外国為替市場で言えば、債務不履行(デフォルト)で定番の国であり、アルゼンチンの通貨ペソ(ARS)はよく紙くずになる通貨と認識されているだろう。しばしば、日本の累積債務問題で比較対象として引き合いに出されることもあるが、日本という国はアルゼンチンとは真逆の方向で不思議の国であり、アルゼンチンと比較することはミスリーディングであろうと考えられる。
簡単に言ってしまうと、日本人が持つ特性の真逆を考えれば、アルゼンチン人になるのではないかということである。日本人は村社会的な集団主義が行き過ぎている国であり、政府の資産や負債と家計や企業が持つ資産や負債というものの境界が曖昧に見える国である。通常の資本主義国家であれば、日本ほど政府が債務を抱え、家計や企業が資産を持っている場合、税金を逃れるために資産を外国へ逃避しようという行動が頻発するはずである。もちろん、個人主義的な性格を持つ成金みたいな人たちはマレーシアやシンガポールあたりに逃避したりするものの、意地でも税金を徴収しようと外国政府と交渉したり、そういった行動をとる個人をけしからん人たちと印象操作をすることで、国内の秩序を維持しようとしている国というように見える。
陸続きの外国がないことや言語的な壁もあって、日本人は日本という国から逃避しづらい性質を持っており、外国への資産の持ち逃げということが他の国と比較して起こりづらいように見える。そのため、政府が多額の債務を背負って金をばらまいても、ばらまいた金は国内にとどまり、金利などほとんど付かないのにもかかわらず銀行預金を経由して国に貸し付けられる。結果として、GDPの何倍もの巨額な政府債務があるにもかかわらず、経済活動も通貨の価値や信頼もビクともしないという印象を受ける。というあたりが、不思議の国ニッポンというところだろう。
これに対して、アルゼンチンは個人主義、縁故主義が行き過ぎている国と考えられる。国民の性格として自分の利益や縁故のある人々(マフィア的な言い方をすればファミリー)を第1に考え、そのために不正をしたり法律を犯すことにためらいがない傾向があり、汚職や賄賂、縁故主義的な経済活動が常態化している。国民の多くはこういったずる賢い行動がかっこいいものと考えているようであり、そういった行動はViveza、そういう性格を持った人たちをVivoというらしい。当然のことながら、こういった性格の国民であれば、政府の債務など自分とは何の関係もないという考え方になるだろう。
このような国では政府が政権を維持するために国民((カウディーリョ(Caudillo)といわれる)地方の有力者など)の支持を取り付けたり、命令に従わせようとするとやたらと金がかかるうえに、そのためにバラまいた金は税金から逃れるために大抵海外に持ち逃げされることになる。要するに、政権を維持しようとすると財政破綻するし、財政破綻を避けようと税率を上げたり支出を抑えると国民の支持を失い、その政権は間違いなく短命で終わることになる。原因はわかっていても、アルゼンチン政府は債務不履行を免れない運命にある、というのがこの国の抱える問題なのだろうと思う。
一般に、政府が債務不履行する国というのは政治的にも経済的にも弱者である傾向があり、政治的な対立国や親会社的な宗主国に経済制裁されたり都合よく搾取された結果としてデフォルトするのが通常だろう。しかし、アルゼンチンはそういう国ではないと考えられる。というのも、アルゼンチンは肥沃な広い国土を持つ農業大国であり、経常収支もほとんどの年で黒字である。南米の国に共通して言えることだが、経済資源には恵まれている国といえる。資源の呪い(Resource Curse)と言ってしまえばそれまでかもしれないが、その国の政府がなぜ自滅するかのように債務不履行に陥るのか、というところで不思議な国なのである。