為替のトレーディングをビジネスとしている企業の代表格は銀行だろう。そのため、銀行のディーリング(トレーディング)業務がどのようなものであるかを知ることが個人投資家のトレーディングを考える上で重要であると考えられる。ありがちな大きな誤解は、両者が本質的に同じものであり、銀行のディーリング部門が行っている業務が個人投資家のトレーディングと同じであると考えてしまうことだろう。金融市場に大衆の関心を引き付ける目的で、しばしば銀行のディーラーの仕事はデフォルメされて伝えられることがあり、巨額の資金を用いて相場を張って利益を稼いでいるかのような印象を与えられる。そういった側面が全くないとは言えないかもしれないが、おそらくほとんどないだろうし、それは銀行のビジネスの本質ではないと考えられる。
このように考える理由は、もし相場を張って利益を稼ぐことがビジネスの中心であるならば銀行のトレーディング損益というのはジェットコースターのように毎年大きくアップダウンするはずであるからである。現実には、多くの金融機関のトレーディング損益はサブプライムショックのような例外を除けば、毎年比較的安定した金額の利益を生み出しており、その金額はある程度予測がつくものとなっている。これは相場の変動のような不確定な要素であるより、一定の顧客がいて毎年売上や利益を計上する通常のビジネスと変わらない形態のものであることを示唆する。銀行において、市場部門のビジネスというのは形式的に(直接的には取引の相手方と利益が相反するため)非顧客部門のビジネスと位置づけられるが、現実には銀行のディーリング業務は本質的に顧客ありきのビジネスであり、サービス業に近いものと推測される。
さらに理由を加えると、相場を張って利益を稼ぐことがビジネスであるならば、組織を維持することが困難であるように見えるからである。ディーラー個人の能力に頼って利益を稼いでいると仮定すると、ディーラーはなぜその組織に所属するのかというインセンティブが不明であるし、そもそもそのような状況で銀行がディーラーをマネジメントする(命令に従わせる)などということはできないと考えられる。この辺りの事情は投資ファンドやヘッジファンドにおいても特に変わるものではないと推測される。投資ファンドやヘッジファンドも顧客ありきのビジネスという点において、個人投資家のトレーディングとは本質的には異なっているものと考えられる。伝説のディーラーを自称する怪しいおじさんたちの相場観が大抵当てにならないのは、そもそも彼らの仕事に相場観なるものがそれほど必要とされるものではないからだろう。
以上のように考えると、銀行のディーリング業務をビジネスと考えれば、間にFX業者が入るにしても、銀行にとって個人投資家は毎年安定した売上や利益を生み出す顧客であり、両者は本質的に対極的な立場にあると考えられる。これについては何回かに分けて詳細に分析するつもりである。カジノにおいて、ポーカーやブラックジャックといったトランプのゲームでカードを配るバニーちゃんのことをディーラーというが、銀行におけるディーラーはこのバニーちゃんのようなものと思った方が間違いがないかもしれない。バニーちゃんの興味はアルバイト料であり、客が儲かるか損するかやカジノが儲かる仕組みなど興味ないだろうし、それによって自分の収入が変わるわけでもないだろう。ギャンブラーにカードを配り、ゲームをやって損をしたギャンブラーに、”残念でした。またのお越しをお待ちしております。”というのが彼らの仕事なのかもしれない。
ちなみに、カジノでなぜギャンブラーのほとんどが負けるかというと、オッズ(例えば、100円賭けたら平均で何円返ってくるかという比率)というものが微妙にギャンブラーに不利になるように設定されており、ギャンブルをひたすら繰り返すと大数の法則に従って平均的にギャンブラーが負け、カジノが利益を得るようになっているためである。FXにおいても同じような秘密の(自明か?)仕掛けが存在するだろうし、その仕掛けを乗り越えなければ勝つことができないという意味において手強い戦いなのである。