テクニカル分析の必要性
ファンダメンタル分析に基づいて長期的なポジション取りしかしない、スワップポイント狙いのキャリートレードしかしないというのであれば、テクニカル分析というのは特に必要ないかもしれない。もしくは、重要なマクロ経済指標の発表日をターゲットに予想を立てて、集中的にポジション取りをするということ(このような戦略はイベントドリブン戦略といわれる。)も可能かもしれない。しかし、こういった戦略はどちらかというと懐に余裕がある人向けであり、個人投資家で短期のうちに多くの利益を得たい、あるいは、日銭を稼ぎたいと願う人から見れば、このような戦略は魅力的に見えないだろう。結果としてデイトレードやスイングトレードといわれる短期の売買を対象にするのだが、日々の値動きを追うためのツールとしてのファンダメンタル分析はほぼ無力に等しいと考えられる。
デイトレードやスイングトレードといわれる期間が短い取引では、日々の値動きの特性や傾向を利用して利益の獲得を目指す戦略がとられる。この価格の動きの特性や傾向を抽出するための統計的な分析を総称してテクニカル分析といってよいだろう。一般に、テクニカル分析は非科学的なツールとしての性質が強く、学者の人たちはあまり研究の対象としたがらない。経済学では合理的期待仮説や効率的市場仮説が広く信じられており(信じた方がアカデミックの世界でポストを得やすいと推測され、信じることがキャリア形成に必要な部分もあるのかもしれないが。)、ランダムウォーク以外の計量モデルは眉唾ものと考えている側面もあるだろうが、経済統計学や計量経済学に近い領域であると考えることもできる。
学術的な研究スタイルがとられない理由
しかし、多くのテクニカル分析というのは、経済学的な計量モデルというものをほとんど用いない。計量モデルを用いると適用するデータに応じてパラメータも変化させるべきだろうが、パラメータ値を可変にしているテクニカル分析というのはほとんどないと思われる。
多くの場合は、単純な移動平均値や高値と安値の平均値、それらの値からの乖離度合いを表すパラメータの組み合わせで指標が構成され、後はひたすら精進(精神修行)せよ、といったスタイルがとられる。それらを計算するためのパラメータも5,8(or 9), 13(or 14), 21(or 20),・・・あたりの数値が固定的に適用される。おいおい数値の書き方がおかしいぞと思うだろうが、意図的に書いていて、どうもフィボナッチ数列(5,8,13,21,34,・・・)というものから数値をとってくることが多いようなのである。有名な一目均衡表の基本数値9,17,26,33,42,52,65,・・・も半分にすると大体フィボナッチ数列の値になることが知られている。
なぜこうなるのだろうか。一つの仮説は分析ツール自体の予測能力にさほどの意味はなく、それよりもトレーダーのパターン認識能力の開発や学習にこそ意味があり、テクニカル分析はあくまでその補助ツールに過ぎない、というものである。この場合、人間のパターン認識を補うことが主目的であるから、予測能力を向上するためにパラメータを可変にすることは逆効果であるだろう。また、フィボナッチ数列や黄金比(1:1.618)は人間の視覚的な認知能力との関係が深く、絵画などの芸術作品に頻繁に現れることが知られている。要するに、フィボナッチ数列や黄金比は人間が長さを比較する際に、違う長さを持つと認識する基本単位なのであろうと推測される。
また、多くのテクニカル分析ツールは単純に見えるが、計量経済学的なモデルと考えると思いの外複雑なものであるかもしれない。例えば、25日の移動平均線を単純平均ではない一般的な加重平均として時系列モデルで表せば、AR(25)モデル(自己回帰モデルという時系列モデル。別途説明する。)ということになる。このようなモデルは一般の計量経済学では用いられないし、適切なパラメータ推定ができるかもよくわからないように見えるのである。
このように考えると、一般に知られているテクニカル分析の予測能力を検証することにさほどの意味はないのかもしれない。同じ分析ツールを使っていても勝つ人と負ける人で分かれてしまうということになるし、勝つ人もなぜそのようにすると勝てるのか論理的な説明ができないものである可能性が高いと考えられる。当然のことながら、このブログではこのようなアプローチは採用せず、予測能力があると考えられるモデルを開発し、パターン認識であるならば計量的な手法で検証しようと考えている。が、試行錯誤は避けられないだろうし、壁は高い気もする・・・。
人口知能やディープラーニングという技術が人間のパターン認識能力を超えているだろうから、余裕でしょwと思うかもしれないが、多くのケースにおいて学習用の正解データというのは人間の判断で作られており、人口知能やディープラーニングはその特性情報を数値的に圧縮して記憶する(学習する)技術という側面が強いようにみえる。人間に対してソフトウェアが圧倒的な優位性を持っているのは、大量の情報を記憶すること、その情報を正確に引き出すことであり、必ずしもそれらのプログラム自体が優れたパターン認識能力や意思決定能力を持っているとは言えない部分もあるのではないかと考えている。
“チャーチストに大金持ちはいない”の意味
こういわれるとテクニカル分析で儲けているやつなどいない、所詮は眉唾物であるというように考えてしまうかもしれない。しかし、これはそういう意味ではなく、市場に影響力を持つような巨額の資金を運用する場合、 デイトレードやスイングトレードのような手法はそもそも採用できないと考えられる。機関投資家や大金持ちはポジションを短期の間に入れ替えるということがそもそもできないのである。
サブプライムショックやコロナショックでウォーレンバフェットが大きく損失を出すと、”そろそろあの爺さんも終わりだな”的な意見も出るが、わかっていてもポジションを大きく変えることなどできないのだろうと推測される。 この辺りの事情は年金基金や大手の金融機関も同様であり、金融危機の時は大抵そろって大きな損失を出すことになるというのは、資金の規模が自由なポジションテイクを許さないという事情があるのだろう。金融危機の時に聞いたことがないヘッジファンドが驚異的な収益をあげて名声を獲得するということがあるのは、ポジションテイクの自由度を最大限生かした結果であろうと考えられる。
テクニカル分析を利用するチャーチストというのは、そういった制約から自由な人たちでしかありえず、基本的には大金持ちではありえないということになる。ただ、テクニカル分析を利用する大金持ちがいないということは、必ずしもテクニカル分析の有効性を否定するものではないと思うのである。